ヤヒコのつぶやき

【感謝の日】バスケットボールの価値観が変わった日

バスケットボールの価値観が変わった日

10月10日は私のバスケに対する価値観を変える出来事があった日で、私を救けてくれた方、支えてくれた方、喜びを与えてくれた方に感謝をする日です。

数年前のこの日、事故で左手薬指の第一関節が皮一枚残してもげちゃいました。

ホカホカのソーセージをポキッと折った時のあの感じです。

当時いくつものラッキーが重なり、無くなるはずだった指は繋がり今もあります。ただ、その指は第一関節が曲がらないので、ジャンケンのグーは上手くできません(笑)

怪我をしたその瞬間思った事は2つ。

妻を泣かせちゃうな〜

バスケはもうできないだろうな〜

バスケに関して今思えば、もっとハンデがあってもバスケをやられてる方は沢山いらっしゃるので極端な発想でしたが、その瞬間は自分の中で「もう出来ない」と結論づけるほどのショックを受けていました。

いくつものラッキーとは

処置はできないが怪我した箇所の洗浄だけでもと、一次処置で受け入れてくれた病院があり徹底的に傷口を洗浄してくれたこと。

処置できる病院を諦めず根気よく探し、見つかったとなったら1時間かけて救急車で搬送してくれた救急隊の皆様の対応(地方だったため近隣の病院では対応できなかった)。

皮一枚で繋がっていたとはいえ、本来切除するところ結合の判断をしていただいたお医者様が担当になってくれたこと(別の医師は切除を検討されていました)。

残ったわずかな皮の内側に辛うじて毛細血管2本が繋がっていて、もげた指に血液を送ってくれていたこと。

どれも欠けていたら、私の指は残っていなかったと思います。

指の治療が落ち着き、しっかり指が固定された後、1年以上が経過。もちろんバスケのバの字も関わらずにいました。

そんな時、友人に半ば強引に誘われたバスケがありました。そこが、初心者向け・カムバック向けのバスケスクールでした。

初心者向けだから、きっと大丈夫と誘ってくれたのです。

私も恐る恐る左手でドリブルをしたのですが、痛みも何もなく強くドリブルをしても何の支障もありませんでした。

指を繋げる際、日常生活に支障が出ないようにと、少し角度をつけて繋げてもらいましたが、その角度がバスケットボールにもフィットしていました。

まさかバスケットを再開できるなんて思っていなかったので、驚きと嬉しさがいっぱいでした。

その後、ご縁あってコロナ渦前まで少々スクールのお手伝いをさせていただき、沢山のバスケットボールを楽しむ方と出会い、今に至ります。

怪我をした時、搬送や精一杯の治療をしてくれた救急隊や医師の方々、バスケに誘ってくれた友人、一緒にバスケを楽しくプレーしてくれた方々、そして支えてくれた妻がいなければ今の自分はなく感謝でいっぱいです。

さらに、バスケットボールの場を提供する活動をしてくれる方々がいなければ、バスケを再会・継続することもなかったでしょう。

一度は断念したバスケットボールを、できる限り長く楽しみ、バスケットボールに関わる活動で自分ができることは行い、その活動を応援したい・・・と思うようになりました。

ゆえに、ひたむきにバスケットボールを練習をしている方、バスケットボールの場を提供する活動をされている方に、勝手ながら特別な想いを持ちつつ応援をしたくなってしまいます。

毎年、この日は当時を振り返り、多くの方に感謝を捧げる特別な日となりました。

本当にありがとうございました。

これからも無理なく、できるだけ長くバスケットボールを楽しみ、できる範囲のことはできたらなと思っています。

本ブログもバスケットボールを楽しむきっかけになったり、より楽しむヒントになればと思い綴っています。

もしも何かご縁があり、一緒にバスケをする機会があった際にはよろしくお願いします。

最後までお読み頂きありがとうございました。

ABOUT ME
ヤヒコ(yahiko)
yahiko
まだ上手くなりたいと思っている40代サラリーマン。バスケ歴21年、屋外ひとり練習歴3年。 年齢に比例して動けなくなってきましたが、できるだけ長くバスケを続けられるように個人練習を定期的に行っています。 社会人バスケ初心者の方と触れ合う機会が多く、伝えることを通じて学んだ練習のコツや注意点をシェアしたいと思っているおっさんです。